中国貴州省西南部の苗族と布依族の食文化
ー生活環境ー
八田 耕吉
Dietary Culture of the Miaozu and Bouyeizu Tribes in South-Western
Guizhou Province of P.R.China
ーLife Environmentsー
Koukichi Hatta
はじめに
第1報において「中国貴州省西南部の苗族と布依族の食文化」を考察する上での重要な背景としての自然環境について述べた。この報ではもう一つの重要な背景としての生活環境を衛生学的な見地から、飲み水などの衛生事情を考察した。
調査方法
調査は1992年,1993年の 5度にわたる「中国貴州省西南部の苗族と布依族の食文化」の調査に同行して行った。
調査方法と調査地域の概況については、第1報にすでに述べたので省略する。
結果及び考察
水
飲み水
貴州省における上水道(飲用自来水)による給水人口(1987)は、完全処理が3.6%,部分処理が7.4%、あわせて11%である。中国における上水道普及率は1991年には都市部では90.6%を占めているが、貴州省では42.7%である。それに比して農村全体での普及率は17%であるが、貴州省の農村における普及率の統計資料はないがかなり低いと思われる。(日本の水道普及率は1992年で94.9%である)。
貴州省における飲み水を主体とした水源は、1987年の統計資料によると地下水が75,0%を占めている。そのうち浅井戸が62.9%と一番多く、深井戸は12.1%である。地面水は残りの25.0%を占めており、そのうち河川水は23.1%、残りの0.5%が湖沼、1.5%が池塘である。日本では水道水源としての河川表流水(ダムを含む)が71.8%を占めている(1992)。このことは潅漑を含めたダムの建設が水源確保だけでなく、衛生管理にとっても今後重要な課題と思われる。
調査地においてはほとんどが湧水をためた程度の浅井戸であった。水道は村の簡易水道があり、興義市では調査中にひけた杉脚村を含めて 3ヶ所、貞豊県では白層村の1ヶ所、册亨県では1ヶ所のみであった。川の少ない貞豊県にも簡易用水路がつくられており、大碑村楊家山寨ではこの水を飲み水に使用していた。今後農業用の潅漑をも含めて広がることを期待する。浅井戸は図 1,2に示したようにその程度はさまざまであったが、湧水量が少ないため水汲みは朝早く行い、午後からはあまり水汲みはしないようである。水汲み回数、量については他報にゆずる。裏山の川からひいた自家用の簡易水道も 2軒見られたが、水源の浅井戸の位置は日本でみられるような裏山にはほとんどなく、あっても図 1-Aで見られるように湧水量も非常に少ない。浅井戸の多くは集落の中にあっても図 2-E,Fで見られるような集落の低い位置に多く、その多くは図 1-B〜Eでみられるように水田の中でみられた。通常 1つの村に 2,3箇所あり、水位により使い分けているが、カルスト地形を呈しているために土壌の乾燥が激しく、水位が低い。そのためか多くは村よりも低いところにある浅井戸を使っていた。このことは日本では水系(消化器系)伝染病を恐れ、人畜のし尿の混入を防ぐために、水源を人家の上流からとるか、深い井戸を使用していた日本人にとっては非常に異質に感じられた。中国においては飲み水は一般的にはお茶が飲まれるためと、料理はすべて加熱処理が行われているために食中毒を含めて衛生的な注意が低いと思われる。調査地においては前述のようにほとんどが浅井戸であるが、 村(図 2-C)、頂 鎮緑化村(図 2-D)でみられる立派なものから石で囲ってあるもの、田圃の脇の水溜まりのようなものまでいろいろであった。特に者相鎮納窩村(図 1-F)では道ばたの水溜まりのような状態で、湧水量も非常に少なかった。その様に多くは水量が少ないため、水の濁っていない朝に水汲みをしなければならない。深井戸は頂 鎮緑陰村と下午屯鎮納灰村(図 3-D)に見られたが、時間を決めてモーターで汲み上げており、浅井戸との併用であった。河川表流水を使っていたのは 村(図 3-A)だけであったが、水量の多いときのみで普段は山からの湧水をためた浅井戸と併用していた。天水を利用していたのは下午屯鎮納灰村中塞(図 3-C,E)の 1部落にあったが、小学校の先生の指導の元に試験的に行っているようである。ただ屋根をコンクリートで浅いプールにして、ホースを引いているだけでは長期間使用時の水質の管理や漏水などの問題もあり、将来の可能性は見えてこないようである。
水質は現地では調べていないが、石灰岩地帯のため中国生活飲用水地図集によるとPH7.6-8.5と弱アルカリ性に偏り、総硬度も高いと思われる。
入浴
中国では一般的に日本人のような風呂にはいる習慣はなく、都会においてはシャワーが西洋式にトイレの中にもうけられている。町には公衆浴場があるが、日本の海水浴場でみられるようなシャワー室である。夏には川や用水で女性が頭を洗っているのには何度か出会ったが、水浴をしているのは見かけなかった。四川省や湖南省以南では「寝る前に二つのタライの水を用意しなければならない」という言い伝えがある。一つは土足の生活なので足を洗うためのもの、一つは身体(特に下半身)を拭くためのものである。農家での聞き取りによると、夜タライにいれたお湯で身体を拭くということであった。標高の低い倉更鎮平岸村や 村では来客にお湯をいれた洗面器とタオルを一緒に出してくれた。
環境衛生
ゴミ
都市においては練炭や石炭などの焼却残渣によるごみ問題も起きているが、農村においてはほとんどが自然にかえされている。食べ物の残りや残渣は豚や鶏などの家畜の餌に、石炭や草木灰は道路の穴埋めなどに使われている。市場に買い物に行くときも特別な袋は使わず、大概はそのまま肉でも篭にいれている。もしくは木の葉で包むか、縄で縛っている。ポリ袋は市場では売られているが(上等なものは日本的超市場と印刷されていた)、使った後は各家庭できれいに洗い干され、何度も使われている。しかし、町では朝から外食が多く、食べながら歩き、ラーメンの汁などの食べ残しなども道に捨てられている。それだけでなく、たんやつばから鼻汁(勿論ちり紙でかむのではなく、手でチーンと飛ばす)まで何でも気軽に道に捨てている。農家ではご馳走の食べ散らかしや骨などの残渣はテーブルの下に捨てるが、鶏や犬がそれらを食べて片づけてくれる。このように自然に還元されているうちはいいが、ポリ袋や空き缶の投げ捨てがされるようになったら道端や河川はゴミだらけになるでしょう。日本のようなゴミ社会になる前にリサイクル思想を守っていくことを期待することは無理なのだろうか。日本でも味噌や醤油を瓶などのいれものを持って買いに行ってた時代はそんな昔のことではないように思う。現在中国の農村においては瓶やポリ袋が大切に扱われている。今のうちにリサイクル技術の導入を進めることも大切だが、今の中国においてはデポジット(預り金)制度を導入した回収方法が適切であると思われる。
トイレ
街では各家庭にはトイレがなく、街の要所要所に公衆トイレがある(図 4-A,B)。公衆トイレは入り口は男女別々になっており、中は低い仕切があるか、まったく仕切のないものもある。中は非常に汚れており、掃除がなされている気配はなく、足の踏み場もない状態である。ただし、北京においては公衆手洗いの清掃員は10カ所に一人の割合でいる。トイレの後ろは田圃が広がり、肥えだめには蓋はまったくなく解放的である。日本における水洗化以前の公衆トイレを思い出させる光景であるが、アンモニア臭はまったくない。中国では小便は野外で済ましていることが多く、小便器のないトイレも多い。かつて駅などでよく見られた個々の小便器がないもので、下にたまったものが自然に流れていき、垂れ流しになっている(図 4-B)。小便は自然に土壌中に染み込ませ、一般的には肥だめには大便だけが溜まるようである。乾燥しており、そのうえ解放的であるためと、食べ物の違いを含めて腐敗細菌(尿素を加水分解してアンモニアにかえる酵素ウレアーゼなどを持つ: CO(NH3)2+H2O−CO2+2NH3)の働きによる違いも関係しているためか臭いが少ない。しかし、逆に清潔にすることに対する姿勢をなくしているようにも思われる。町では朝、公衆トイレに捨てに行くか、用足しに行く。朝、公衆トイレに入ると、こちらを向いて並んでいる様を見ると一瞬たじろいでしまう。これが有名なニイハオ・トイレである。
農村ではトイレはふつう豚小屋の中にあり、穴があいているだけか(図 4-C)、木の板(図 4-E)、もしくは石板(図 4-D,F)を渡しているだけの簡単なものである。いくつかは豚小屋の外にあったが、囲いはほとんどなく、解放的であった(図 4-C)。家の敷地内ではあるが、トイレが独立しており、家より少し離れた畑の中にあるのも少しではあるが見られた(図 4-F)。ただし、これは衛生的に考えられているのではなく、ただ単に場所がなかったためと思われる。事後処理には紙は使われていなかったが、木の葉や木切れも使われた様子もなく、水瓶もなかった。聞くところによると子供のノートの使ったのや新聞紙が使われているそうだが、勿論新聞は配達されていないので紙はたいへん貴重であろう。豚による処理が戦時中の兵士の話に聞かれるが、私と同行した女性が一度豚にお尻をなめられる事件があったので関心のあることではあるが、残念ながら確かめることはできなかった。町ではピンク色のトイレット・ペーパーが売られているが、これは女性の生理の時に使われているとのことだった。幼児のズボンはお尻のところが割れており、勿論下着はつけていない。冬には前垂れ風の布を後ろに垂らしていることもあるが、お尻が見えている状態であり、どこででも用を足せるようになっている。幼児の用足しは道端であろうが、家の前であろうがところ構わずさせており、幼児の便は犬が処理をしていることはよく知られた事実である。
寄生虫
寄生虫卵の保有検査は行っていないが、日中医療技術交流として寄生虫卵検査法の講習を中国の各地でおこなっている名古屋公衆医学研究所の結果によると、保卵者は高く18%から56%を占めている。蛔虫卵がもっとも多く、ほとんどを占めている。ついで鈎虫卵、鞭虫卵が多い。これは以前の日本と同様に人糞が肥料として使われているためであろう。調査地域の市場にも、蛔虫の駆除効果を見せるために蛔虫を並べて駆虫薬が売られていた(図 5-E)。豚肉や牛肉の生食により感染する条虫類や、魚介類の生食による吸虫類はほとんど見られない。中国の東北部の黒龍江省では、魚の生食が原因と思われる肝吸虫が高率(11%)でみられているが、もともと漢民族は生食はしないので、蒙古族か朝鮮族の習慣が入ってきたためと思われる。
鼠族害虫
ネズミの被害は多く、駆虫薬と同じようにネズミの死骸を並べて殺鼠剤がしばしば売られていた(図 5-F)。ゴキブリは興義市の市街地ではクロゴキブリが多くみられたが、農家ではみられなかった。ハエなども安龍市の町をのぞけば殆どみられなく、吸血性のカなどにもまったく刺されなかった。このことは農村における生ゴミの発生がないことと、水たまりなどの発生源が少ないためと思われる。これは都会における経済活動の高まりが地方にも広がってくることにより、衛生害虫の増加につながることも予測される。
環境保全中国貴州省西南部の苗族と布依族の食文化
ー生活環境ー
八田 耕吉
Dietary Culture of the Miaozu and Bouyeizu Tribes in South-Western
Guizhou Province of P.R.China
ーLife Environmentsー
Koukichi Hatta
はじめに
第1報において「中国貴州省西南部の苗族と布依族の食文化」を考察する上での重要な背景としての自然環境について述べた。この報ではもう一つの重要な背景としての生活環境を衛生学的な見地から、飲み水などの衛生事情を考察した。
調査方法
調査は1992年,1993年の 5度にわたる「中国貴州省西南部の苗族と布依族の食文化」の調査に同行して行った。
調査方法と調査地域の概況については、第1報にすでに述べたので省略する。
結果及び考察
水
飲み水
貴州省における上水道(飲用自来水)による給水人口(1987)は、完全処理が3.6%,部分処理が7.4%、あわせて11%である。中国における上水道普及率は1991年には都市部では90.6%を占めているが、貴州省では42.7%である。それに比して農村全体での普及率は17%であるが、貴州省の農村における普及率の統計資料はないがかなり低いと思われる。(日本の水道普及率は1992年で94.9%である)。
貴州省における飲み水を主体とした水源は、1987年の統計資料によると地下水が75,0%を占めている。そのうち浅井戸が62.9%と一番多く、深井戸は12.1%である。地面水は残りの25.0%を占めており、そのうち河川水は23.1%、残りの0.5%が湖沼、1.5%が池塘である。日本では水道水源としての河川表流水(ダムを含む)が71.8%を占めている(1992)。このことは潅漑を含めたダムの建設が水源確保だけでなく、衛生管理にとっても今後重要な課題と思われる。
調査地においてはほとんどが湧水をためた程度の浅井戸であった。水道は村の簡易水道があり、興義市では調査中にひけた杉脚村を含めて 3ヶ所、貞豊県では白層村の1ヶ所、册亨県では1ヶ所のみであった。川の少ない貞豊県にも簡易用水路がつくられており、大碑村楊家山寨ではこの水を飲み水に使用していた。今後農業用の潅漑をも含めて広がることを期待する。浅井戸は図 1,2に示したようにその程度はさまざまであったが、湧水量が少ないため水汲みは朝早く行い、午後からはあまり水汲みはしないようである。水汲み回数、量については他報にゆずる。裏山の川からひいた自家用の簡易水道も 2軒見られたが、水源の浅井戸の位置は日本でみられるような裏山にはほとんどなく、あっても図 1-Aで見られるように湧水量も非常に少ない。浅井戸の多くは集落の中にあっても図 2-E,Fで見られるような集落の低い位置に多く、その多くは図 1-B〜Eでみられるように水田の中でみられた。通常 1つの村に 2,3箇所あり、水位により使い分けているが、カルスト地形を呈しているために土壌の乾燥が激しく、水位が低い。そのためか多くは村よりも低いところにある浅井戸を使っていた。このことは日本では水系(消化器系)伝染病を恐れ、人畜のし尿の混入を防ぐために、水源を人家の上流からとるか、深い井戸を使用していた日本人にとっては非常に異質に感じられた。中国においては飲み水は一般的にはお茶が飲まれるためと、料理はすべて加熱処理が行われているために食中毒を含めて衛生的な注意が低いと思われる。調査地においては前述のようにほとんどが浅井戸であるが、 村(図 2-C)、頂 鎮緑化村(図 2-D)でみられる立派なものから石で囲ってあるもの、田圃の脇の水溜まりのようなものまでいろいろであった。特に者相鎮納窩村(図 1-F)では道ばたの水溜まりのような状態で、湧水量も非常に少なかった。その様に多くは水量が少ないため、水の濁っていない朝に水汲みをしなければならない。深井戸は頂 鎮緑陰村と下午屯鎮納灰村(図 3-D)に見られたが、時間を決めてモーターで汲み上げており、浅井戸との併用であった。河川表流水を使っていたのは 村(図 3-A)だけであったが、水量の多いときのみで普段は山からの湧水をためた浅井戸と併用していた。天水を利用していたのは下午屯鎮納灰村中塞(図 3-C,E)の 1部落にあったが、小学校の先生の指導の元に試験的に行っているようである。ただ屋根をコンクリートで浅いプールにして、ホースを引いているだけでは長期間使用時の水質の管理や漏水などの問題もあり、将来の可能性は見えてこないようである。
水質は現地では調べていないが、石灰岩地帯のため中国生活飲用水地図集によるとPH7.6-8.5と弱アルカリ性に偏り、総硬度も高いと思われる。
入浴
中国では一般的に日本人のような風呂にはいる習慣はなく、都会においてはシャワーが西洋式にトイレの中にもうけられている。町には公衆浴場があるが、日本の海水浴場でみられるようなシャワー室である。夏には川や用水で女性が頭を洗っているのには何度か出会ったが、水浴をしているのは見かけなかった。四川省や湖南省以南では「寝る前に二つのタライの水を用意しなければならない」という言い伝えがある。一つは土足の生活なので足を洗うためのもの、一つは身体(特に下半身)を拭くためのものである。農家での聞き取りによると、夜タライにいれたお湯で身体を拭くということであった。標高の低い倉更鎮平岸村や 村では来客にお湯をいれた洗面器とタオルを一緒に出してくれた。
環境衛生
ゴミ
都市においては練炭や石炭などの焼却残渣によるごみ問題も起きているが、農村においてはほとんどが自然にかえされている。食べ物の残りや残渣は豚や鶏などの家畜の餌に、石炭や草木灰は道路の穴埋めなどに使われている。市場に買い物に行くときも特別な袋は使わず、大概はそのまま肉でも篭にいれている。もしくは木の葉で包むか、縄で縛っている。ポリ袋は市場では売られているが(上等なものは日本的超市場と印刷されていた)、使った後は各家庭できれいに洗い干され、何度も使われている。しかし、町では朝から外食が多く、食べながら歩き、ラーメンの汁などの食べ残しなども道に捨てられている。それだけでなく、たんやつばから鼻汁(勿論ちり紙でかむのではなく、手でチーンと飛ばす)まで何でも気軽に道に捨てている。農家ではご馳走の食べ散らかしや骨などの残渣はテーブルの下に捨てるが、鶏や犬がそれらを食べて片づけてくれる。このように自然に還元されているうちはいいが、ポリ袋や空き缶の投げ捨てがされるようになったら道端や河川はゴミだらけになるでしょう。日本のようなゴミ社会になる前にリサイクル思想を守っていくことを期待することは無理なのだろうか。日本でも味噌や醤油を瓶などのいれものを持って買いに行ってた時代はそんな昔のことではないように思う。現在中国の農村においては瓶やポリ袋が大切に扱われている。今のうちにリサイクル技術の導入を進めることも大切だが、今の中国においてはデポジット(預り金)制度を導入した回収方法が適切であると思われる。
トイレ
街では各家庭にはトイレがなく、街の要所要所に公衆トイレがある(図 4-A,B)。公衆トイレは入り口は男女別々になっており、中は低い仕切があるか、まったく仕切のないものもある。中は非常に汚れており、掃除がなされている気配はなく、足の踏み場もない状態である。ただし、北京においては公衆手洗いの清掃員は10カ所に一人の割合でいる。トイレの後ろは田圃が広がり、肥えだめには蓋はまったくなく解放的である。日本における水洗化以前の公衆トイレを思い出させる光景であるが、アンモニア臭はまったくない。中国では小便は野外で済ましていることが多く、小便器のないトイレも多い。かつて駅などでよく見られた個々の小便器がないもので、下にたまったものが自然に流れていき、垂れ流しになっている(図 4-B)。小便は自然に土壌中に染み込ませ、一般的には肥だめには大便だけが溜まるようである。乾燥しており、そのうえ解放的であるためと、食べ物の違いを含めて腐敗細菌(尿素を加水分解してアンモニアにかえる酵素ウレアーゼなどを持つ: CO(NH3)2+H2O−CO2+2NH3)の働きによる違いも関係しているためか臭いが少ない。しかし、逆に清潔にすることに対する姿勢をなくしているようにも思われる。町では朝、公衆トイレに捨てに行くか、用足しに行く。朝、公衆トイレに入ると、こちらを向いて並んでいる様を見ると一瞬たじろいでしまう。これが有名なニイハオ・トイレである。
農村ではトイレはふつう豚小屋の中にあり、穴があいているだけか(図 4-C)、木の板(図 4-E)、もしくは石板(図 4-D,F)を渡しているだけの簡単なものである。いくつかは豚小屋の外にあったが、囲いはほとんどなく、解放的であった(図 4-C)。家の敷地内ではあるが、トイレが独立しており、家より少し離れた畑の中にあるのも少しではあるが見られた(図 4-F)。ただし、これは衛生的に考えられているのではなく、ただ単に場所がなかったためと思われる。事後処理には紙は使われていなかったが、木の葉や木切れも使われた様子もなく、水瓶もなかった。聞くところによると子供のノートの使ったのや新聞紙が使われているそうだが、勿論新聞は配達されていないので紙はたいへん貴重であろう。豚による処理が戦時中の兵士の話に聞かれるが、私と同行した女性が一度豚にお尻をなめられる事件があったので関心のあることではあるが、残念ながら確かめることはできなかった。町ではピンク色のトイレット・ペーパーが売られているが、これは女性の生理の時に使われているとのことだった。幼児のズボンはお尻のところが割れており、勿論下着はつけていない。冬には前垂れ風の布を後ろに垂らしていることもあるが、お尻が見えている状態であり、どこででも用を足せるようになっている。幼児の用足しは道端であろうが、家の前であろうがところ構わずさせており、幼児の便は犬が処理をしていることはよく知られた事実である。
寄生虫
寄生虫卵の保有検査は行っていないが、日中医療技術交流として寄生虫卵検査法の講習を中国の各地でおこなっている名古屋公衆医学研究所の結果によると、保卵者は高く18%から56%を占めている。蛔虫卵がもっとも多く、ほとんどを占めている。ついで鈎虫卵、鞭虫卵が多い。これは以前の日本と同様に人糞が肥料として使われているためであろう。調査地域の市場にも、蛔虫の駆除効果を見せるために蛔虫を並べて駆虫薬が売られていた(図 5-E)。豚肉や牛肉の生食により感染する条虫類や、魚介類の生食による吸虫類はほとんど見られない。中国の東北部の黒龍江省では、魚の生食が原因と思われる肝吸虫が高率(11%)でみられているが、もともと漢民族は生食はしないので、蒙古族か朝鮮族の習慣が入ってきたためと思われる。
鼠族害虫
ネズミの被害は多く、駆虫薬と同じようにネズミの死骸を並べて殺鼠剤がしばしば売られていた(図 5-F)。ゴキブリは興義市の市街地ではクロゴキブリが多くみられたが、農家ではみられなかった。ハエなども安龍市の町をのぞけば殆どみられなく、吸血性のカなどにもまったく刺されなかった。このことは農村における生ゴミの発生がないことと、水たまりなどの発生源が少ないためと思われる。これは都会における経済活動の高まりが地方にも広がってくることにより、衛生害虫の増加につながることも予測される。
大気汚染
冬の各家庭における暖房による大気汚染はひどく、近くに大都市のまったくない調査地域においても、空はいつもスモッグでどんよりとしている。夏の天気のいい日以外は墨絵の風景が広がり、遠景を撮るときにはカメラのオート・フオーカスのピントが合わないほどかすんでいる。暖房や炊事の燃料はコークスと練炭が多く使われており、石炭の硫黄含有量は 2〜 6%と非常に高く、室内にいると喉や目が非常に痛い。さらにトラックなどの大型車はもくもくと排気ガスを出しており、NOxやSOxの排出量は今後も増えると思われる。
石炭の生産量は3,496万トン(1989年)と中国における総生産量の3.3%を占め、10位である(図 5-F)。エネルギー生産量が標準炭換算量にして1,990万トンあり、エネルギー消費量は2,509万トンを上回っている。
発電はほとんどが石炭に頼っており、興義市内にある火力発電所からは終日もくもくとばい煙が上がっていた。水力による発電も行われているようであるが、現在建設が進んでいる天生橋ダムの完成が望まれる。電気は興義市内でも常時二十四時間通電しているのではなく、冬季には水不足のために断水と停電がよくあった。調査地域においては夜だけ電気がきており、まだ自家発電の村もあった。もちろん電気のきていない村も6カ所あり、メタンガスのランプ(図 5-G)が3所帯、まったく自然光のみの調査所帯も3世帯あり、他は灯油のランプだった。メタンガスのガス燈は豚などを始めとした人畜のし尿をためて密閉し、発酵させている。メーターでガス圧を調べて、コックをあけて点灯している。これはまさにまったく無駄のないの省エネであり、臭いもまったくなかった。
中国ではOECD(経済開発機構)の理事会勧告(1972)を受けて、1979年に規定された環境保護法(試行)に「汚染者負担の原則(PPP)」が取り入れられたが、最近になって本格的に実施されるようになった。その中に汚染者処理施策が制定されており、その中でもユニークなのは「環境汚染費(排汚費)徴収制度」である。これは企業からの汚染物質排出量が排出基準を超えている場合に、それに相応して汚染罰金額を徴収する制度である。この制度が上手に運用されて汚染防止対策がなされれば良いのだが、企業は環境投資よりも排汚費を払った方が安上がりと考えているために罰金収入の額が増えるだけで予防対策がたてられないままである。浄化対策が後手後手に回り大気や水質が大きく汚染された後では、日本の高度経済成長時代の二の舞になりそうである。
貴州省の貴陽では雨水のPHが3.7、都勺で3.1を記録しており、降水の貴州省におけるPH平均値が5.0と中国の中ではもっとも低く、貴州省全域で酸性雨が発生している。日本における酸性雨の最小値が4.4〜5.0と1989年に環境庁が行った第一次酸性雨対策調査結果以降同程度のレベルで推移しているのに対して、中国全体の硫黄酸化物の排出量は1989年には日本の15倍以上の1,565万トン/年が、1993年には1,800万トンを上回り、窒素酸化物は日本の約 5倍の600万トンと増え続けている。中国における重工業の急速な発展が酸性雨の発生を起こし、森林の破壊や農業産物への影響や直接人体への被害がでることも懸念される。より早く対策を講じなければ、日本の高度経済成長時代(1960年代)でみられた四日市市や川崎市、さらに名古屋市南部などで発生した大気汚染による喘息などの呼吸器系の障害などが中国においても充分予測される。
第1報で述べたように1958年からの改革路線「大躍進」のもと、製鉄のための燃料として多くの木が切られてきたため、貴州省全体の森林被覆率は14.5%、特に調査地域では 5〜10%と低い地域もある。そのうえ、カルスト地形のため土壌は乾燥が激しく植生は貧弱であり、2次林もほとんど見られないために酸性雨により完全に破壊されると回復が危ぶまれる。それに加え、降水による土壌の侵食が激しく、表土の流出による土地の荒廃が激しく、大雨による洪水が心配される。1991年の 7月に襲った豪雨( 6時間雨量216ミリ、 1時間雨量76ミリ)により中学校の倒壊を始め、道路の浸水や家屋および田畑の冠水が水深 2メートルを越した。今年(1994年)の 7月にも廣西壮族自治区にかけての一帯で洪水による大きな被害が伝えられた。
現在「10大水力発電基地開発構想」のもと自治州ないには天生橋二級水電帖(水力発電ダム)が建設されており、1992年には完成予定であったが遅れている(図 3-B)。完成時には88万キロワットが見込まれており、さらに大規模な天生橋第一級水電帖(120万キロワット)ダムが計画されている。
水質汚染
下水処理関係は貴州省ではただ一つ貴陽市に下水道があるだけで、工業排水の 2%も補っていない。市街地にあるホテル(賓館)やレストラン(飯店)では水洗トイレが設置されているが、確かめられなかったが浄化槽はないようである。それだけでなく、飲食店を含めた各家からの生活排水は無処理で河川に排出されている。
そのため、街における河川の汚濁は予想以上にひどく、生活雑排水の垂れ流しはもとより(図 5-C)、飲食店を始め工場などの排水は野放し状態であると思われる。
河川の水質汚染も進み、砂糖きびの精糖工場(図 5-A)や芭蕉麺(カンナの球根でつくられる麺)の製造過程による排水(図 5-B)などで、真黒に汚されているのを何度も目撃した。水量も少ないため河川の浄化能力をはるかに超え、このままだと回復の可能性はない。日本における水質汚染は1960年代から1970年代にかけて起きた都市部における工業排水が原因で河口部の河川は死の川のような状態を呈した。その後公害対策基本法や水質汚濁防止法などの法的な規制により水質の回復が進んだが、1980年代になってトイレの水洗化などによる浄化槽の普及や生活雑排水などにより、新たに河川の富栄養化が地方にまで広がった。中国においては急速な社会主義市場経済の導入により、都市部だけでなく農村まで一気に開発が進み、歪みがでてきているように思われる。日本政府は中国の環境関連開発援助(ODA)として1993年までに総額500億円もの資金協力をしているが、日本の国際協力も経済援助だけでなく、公害先進国としての技術や人的な援助が望まれる。
要約
1。調査地域の飲料水の水源は浅井戸が多く(貴州省 62.9%)、村の簡易水道 5、深井戸 2、河川水 1、天水が1カ所であった。水源は通常1つの村に2、3カ所あり、集落の低い位置に多く、多くは水田の中にみられた。
2。この地域においては水浴も入浴(日本式の風呂にはいる)の習慣もなく、タライを使ってタオルで体を拭いている。
3。トイレは豚小屋の中にあり、穴が掘られているだけか、木の板もしくは石板を渡しただけの簡単なものであった。
4。調査所帯に電気がきていない村は6カ所あり、灯油のランプ、メタンガスのランプ、まったく自然光のみの家もあった。
5。石炭の産出量が多いので燃料はほとんどコークスと練炭であるが、硫黄含有量が2〜6%と非常に高く品質が悪いため、大気汚染が深刻な問題である。
6。森林被覆率が低く、カルスト地形のために乾燥が激しく、そのうえ表土の流出などにより、植生は貧弱で2次林もはとんどみられない。そのため、大雨による洪水の被害が心配される。
7。河川の水質汚染が精糖工場や芭蕉麺などの食品工場の廃水に加え、生活雑排水の垂れ流しによりきわめて進んでいる。
参考文献
1。中央愛国衛生運動委員会:中国生活飲用水地図集、186pp.、中国地図出版社 (1990).
2。早川慎司、加藤才子:中国西北・華中・華南地区における腸管寄生虫の感染状 況について、日本農村医学会雑誌、41(3),902-903 (1992).
3。石塚正敏:中国の廃棄物処理事情、生活と環境、35(2),55-59(1990).
4。貴州省統計局:貴州統計年鑑 1992、pp.428-434、中国統計出版社 (1993)
5。貴州省統計局:貴州年鑑 1992、p.754、貴州人民出版社 (1993)
6。国家統計局編:中国統計年鑑 1992、pp.684-687、中国統計出版社 (1993)
7。松田延一:回顧九十年、「米の一生」の後日物語、pp.169-191、米川印刷所 (1994)
8。日本環境衛生センター:中国における環境の現状と対策、262pp.、日本環境衛 生センター (1992).
9。大野盛雄、小島麗逸編著:アジア厠考、234pp.、勁草書房 (1994)